実は有機農業大国だった、キューバ

第2回目の「世界の農業技術紹介」として、

キューバ有機農業について書きたいと思います。

その前に、キューバ有機農業大国になった背景について

少し紹介したいと思います。

 

キューバと聞いて、どのようなイメージを持ちますか?

キューバ革命、独裁者カストロキューバ危機、社会主義国家など、

私にはあまりいいイメージはありませんでした。

 

キューバの農業について調べるために、JICAのサイトを見ると、

キューバがいかに食糧を輸入に頼っているかや、

新規就農者の農業知識と経験不足が課題として挙げられていて、

日本の支援を必要としているかのように書かれていました。

 

しかし、吉田太郎さんの

有機農業が国を変えた~小さなキューバの大きな実験~」

という本を読むと、

全く別のキューバ像が見えてきました。

この本は、2002年に初版が発行されており、

情報源としては古いのですが、

ここに描かれていたキューバの現状は

私にとって驚きでした。

なので、古さなんて気にしないで紹介します!

 

この本が書かれた2002時点では、

世界中で有機農業の推進がすでに始まっていました。

有機農業先進地域として知られているヨーロッパでも、

全農地に占める有機農業がおこなわれている農地の割合が

2002年の段階でトップのオーストリアで8.7%、

ドイツは3.7%、フランスで1.5%であったのに対して、

キューバでは正確なデータはないものの、

概算で耕作面積のおよそ27%で有機農業が実践されていたのです。

また、化学肥料や化学農薬の使用量は、概算で日本の24分の1以下であり、

実は、環境保全型農業先進国だったのです。

 

キューバが国をあげて有機農業の推進に取り組むようになった背景には、

ソ連及び社会主義経済圏の崩壊があります。

キューバ革命以降、キューバは徹底した国際分業体制の下、

砂糖、たばこ、コーヒーを輸出し、

その代わりに化学肥料、農薬、石油、そのほか生活物資を輸入に頼る経済体制をとっていました。

1989年においては、食糧自給率は43%程度でした。

(なんか、どこかの国の食糧自給率に近い。。。)

そんな中、1991年にソ連が崩壊し、キューバは未曾有の危機を経験しました。

それまで、化学肥料と農薬に頼る近代農業を行ってきたため、

ソ連から輸入できなくなると、農業生産は急激に落ちていきました。

入手困難になったのは化学肥料と農薬だけでなく、

石油の輸入も減ったことにより、

国内で流通している石油がソ連の崩壊後にはほぼ半減しました。

そのことで、農業用のトラクターを動かすことも、

灌漑用の水ポンプを動かすこともできなくなりました。

1994年の農業生産量は1990年の55%にまで低下するという

なんとも危機的な状況に陥ったのです。

 

そこで最高指導者であったカストロは、

「食糧問題が最優先だ」と宣言し、

化学肥料や農薬、大型機械に頼らないオルターナティブな農法として

国をあげて有機農業に切り替え始めたのです。

 

今回の投稿では、ここまでにします。

より詳しい実践例や普及方法については、

また次の投稿で書きます!

 

参考資料

吉田太郎. 2002. 「有機農業が国を変えた」コモンズ.

https://www.jica.go.jp/project/cuba/003/news/20190625_04.html

https://www.jica.go.jp/project/cuba/003/news/20170706_02.html