文明の生態史観を読んで

農業の話題からは少し外れてしまうのですが、
梅棹忠夫の「文明の生態史観」を読んだ感想を今日はつづろうと思います。

まず初めに、この本は1974年に初版が発行され、
梅棹忠夫氏の論文や新聞に投稿していた連載記事をまとめなおした本であることを述べておきます。

読んでいて、納得いくところもあれば、
そこまで言い切れるのか疑問に思う点も多々あるのですが、
総じていうと、発想がとても興味深く、多くの人に読み続けられていることが理解できました。

この本の内容をとても簡単にまとめると、
梅棹忠夫氏は、文明の発展を進化論的にとらえるのではなく、
生態学的な視点でとらえることで、
世界中の国がたどった歴史の必然性が見れるのではないかと提起しています。
そして、その枠組みの中で、世界を大きく第一地域と第二地域に二分して論を展開しているのです。
第一地域は西ヨーロッパと日本を含む、資本主義経済が高度に発展した国々を含む地域であり、第二地域は、インド、中国、ロシア、トルコの4大帝国を築いた地域とその周辺地域をさしています。
この二つの地域の大きな違いは、歴史的な社会構造の違い、封建制度が確立していたか否かにあると梅棹忠夫氏は主張しています。
第一地域は、帝国の中に取り込まれることなく、独立して封建制度に基づく国づくりが昔から進められており、封建制度があったからこそ、資本主義社会への移行が起こりやかったというように書かれていました。
ここに書いていることは、私が読んでこのように理解したというだけのことなので、
解釈が少し間違っているかもしれません。
また、そのほかにもたくさんの興味深い議論が繰り広げられているので、
内容が気になる方は、ぜひ読んでいただきたいです。

しかし、日本が西ヨーロッパ諸国と一緒だという主張に、私はだいぶ違和感を持ってしまいました。
封建制度があったから、資本主義経済が起こりやすかったということは
確かに、そうなのかもしれません。
社会構造の類似性から発展の必然性を見出しているだけのことでなので、
文明を支える民主化産業革命が起こった歴史的背景はそれほど重要ではないのかもしれませんが、
やはり歴史的背景が違いすぎて、同じという論には納得がいきませんでした。
また、新世界(アメリカ大陸)とミクロネシアやオーストラリアを除いて論が展開されており、普遍的な論とは言いにくいと感じてしまいました。

この本を読んでいると、
ジャレードダイアモンド氏の「銃病原菌鉄」という本を思い出しました。
その本の中では、気候や地理的環境、農業のしやすさによって
文明が発展したと論じられていました。
栽培しやすい作物があり、かつ家畜化しやすい動物がいたから、
ユーラシア大陸で農耕が始まり、
それにより人口が増えたことから文明が発展していった、
というのがジャレードダイアモンド氏の主張だったはずです。
私はこちらの説の方がしっくり来ているせいで、梅棹忠夫氏の主張に納得できなかったのかもしれないとも思いました。

とにもかくにも、まだまだ自分の勉強不足で、
これ以上のことは言えないのが、少し悲しいですが現状です。

話を「文明の生態史観」に戻すと、
この本の中で何度か「よりよいくらし」というキーワードが出てきています。
ここでいう「よりよいくらし」というのは、具体的に何を指しているのかは書かれていませんでしたが、「より近代文明化した便利なくらし」という風に置き換えることができるのかなと思っています。
この本の内容のほとんどが書かれたのは高度経済成長期中であったことも影響していると思いますが、
今の私たちが思う「よりよいくらし」とは少し違うものであると感じながら読んでいました。

となると、今、私たちが求めている「よりよいくらし」とは何だろうか?と気づいたら思いを巡らしていました。

私にとっては、たとえ合理的でなくても、精神的に豊かなくらしであるのかなと思いました。
物質的な豊かさももちろん大切ですが、それは精神的な豊かさがあったうえでより多くの豊かさをもたらしてくれるものであり、本質的な豊かさではないと思っています。

精神的な豊かさを手に入れるためには、より人間的な営みを行うことが大切なのかな?
なんて、昨日の人類学の本を思い出しながらまた、色々と思考を巡らしながら、
楽しんでいます。