人生の苦しみがどこから生じるのかについて疑問が少し晴れた気がする

私たちはこどものころから、

親、教師、そのほか周りの大人から

他人には優しくしなさいとか、

他者を愛しなさいとか、

自己中心的に考えてはいけないとか、

我慢しなさいとか、

要するには、自分を優先するのではなくて

他者のことを考えて行動しなさいと教えられる。

 

それを繰り返す中で、

自分の想い、感情、欲求よりも、

他人の欲求や感情、

他者からどう見られるか、などを優先するようになり、

自然と自分の想い、感情、欲求を抑え込むことを覚えさせれれるのだと思う。

 

そうすると自分のことを大切にできなくなるだけでなく、

自分の感情を正直に認めることもできなくなるんだと思う。

それを続けていくと、本来の自分というものをどんどん見失っていくのだと思う。

生きることは、本来の自分を思い出すことであるとすると、

幼いころからとっていた行動は、自分を見失う方向に

自分のマインドを仕向けるものとなっている。

 

そうやって生きていると、人生がつらく、苦痛に満ちたものになるのだと思う。

 

神との対話 I」の中で、

「最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ」

と書かれていて、とても驚いた。

私が知っている愛情とは、ちょっと違う気がして。

でも、この中でいいたいことは、人間関係で大切なものは、

自分がどうありたいかということだけで、

相手がどうであるか、

相手が何を与えてくれるか、

相手が何を求めているかなど、

相手に関することではないということである。

なぜならば、人間関係を築く目的は、自分を知るためであるからだ。

人間は相対的にしか存在を認めることができないため、

他者がいて初めて、自分という存在が可能になる。

自己を確立するために他者との関係が必要になり、

生きる目的がそもそも、「自分の存在とは何かを思い出すこと」であるとすると、

自分は何かを知るために人間関係があると考えるのは、ごく自然な流れである。

 

それによって、自分をちゃんと愛せるようになって初めて、他者を愛せるようになると思うと、

「最も愛情深い人は最も自己中心的な人である。」というのも納得がいく。

 

私も、もっと自分の感情としっかり向き合って、

遠慮せずに自己中心的な人間になろうと思った。

 

「あなた方が自分のためにすることは

他者のためにすることである。

他者のためにすることは自分のためにすることである。」