色々と考える中で気づいたことがあって、
それは、自分を心から受け入れて愛せるようになることが生きることの本質なのかもしれないということ。
キリスト教が教えている、「霊で満たされること」は
わかりやすく具体的に言うと、まさにそのことで、
ありのままの自分をすべて受け入れて愛せている状態のことを言うのだと思う。
そうして、愛をベースにすべての行動と思考が回るようになると、
自然と隣人を愛せるようになり、
愛と調和と平和の社会ができるのかもしれない。
私がキリスト教が嫌いだったのも、
何が言いたいのかわからないの偉そうに見下されているような感じがしたからなのかな?
一番大切なことが何かわかると、だいぶ受け入れやすくなった気がする。
もう一つ、今日はうれしいことがあった。
研究室の仲間に、私の存在をすごく褒めてもらえたこと。
先日、ある人に、私がいてくれてうれしいし感謝していると言ってもらった。
今日は、別の人に、私には特別な才能があるって言ってもらえた。
頭がよくても、それを周りの人のために使わなければ、頭がよくても仕方がないって、
だけど、私は自分の頭の良さを周りの人のために使える人であり、
周りの人のために時間を使うことができる素晴らしい人だと言ってもらえた。
それは誰にでもできることではなくて、私が持つgiftだとも言ってもらえた。
そういう風に私のことを思ってくれていると思うと、すごくうれしいし、
すごく生きていてよかったって思えた。
本当にありがとう。