「良い農業」とはどのようなものか悶々と考える

自分で「よい農業」とは何かについて模索しておきながら言いうのは何ですが、

わたしは、よのなかには本質的に「良い」ものも「悪い」ものもなく、

全ては両面性を持っていると思っています。

 

私が探している「良い農業」とは、

悪い面も含めて、これを広めたいと思える農業ということです。

また、「良い」と感じるのは人の感覚なので、

客観的なデータや科学的な側面だけで判断するのではなく、

人、環境、社会、経済すべてにおける影響を

総合的に見ていくのが大切なのではないかと感じています。

 

と言いつつも、

最も大切なのは、その農業を営んでいる人が幸せであるかという点だと

最近思うようになっています。

自然農法であろうと、慣行農法であろうと、

その営みそのものが、その農業を営んでいる人に幸せをもたらすことが

「良い農業」の最重要条件だと思っているということです。

そして、次に大切なのが、

その生産物がそれを食べる人の幸せにつながっているかという点だと思っています。

 

もちろん、食糧生産は遊びではないことはわかっています。

人々の安心安全な暮らし、ひいては国家の安全にも関わりかねない

人々の生活を支える根幹をなすものが食糧生産であると認識しています。

なので、生産者の幸せや、消費者の幸せにばかり目を向けて、

生産性を考えなくてもいいと考えているわけでないです。

しかし、だからと言って、農業が生産のみを目的とした営みになることや

農業が資本主義経済の餌食になってしまうことは、

人々の幸せにつながらないと思っています。

 

まさに、今の世の中がそうなのではないかと思っています。

食べるものは十分あって、おなかは満たせたとしても、

ほんとうに心が満たせている人がどれだけいるのか、

疑問に思うことがよくあります。

最終的には、私はより多くの人が幸せを感じられる社会の基盤作りに

貢献したいと思っています。

たとえ貢献できなかったとしても、

一人でも多くの人が幸せを感じられる社会を作るために

自分の人生をささげられたと思えたら私が幸せなのです。

そのためにも私の旅は(頭の中の旅も、現実社会での実際の旅も)

これからも続きます。

 

話を戻すと、

「良い農業」を探していく上での仮説としては、

農業関係人口が多いほど、農家も消費者も幸せを感じやすいという点と、

環境負荷が少なく、より持続可能な農業を行っているほど、

農業の営みそのものを農家が肯定的にとらえられるようになるため、

農家の幸せにつながりやすいと考えています。

 

これから農法について勉強するときや

農家を訪問するときに、

人々の暮らしや、農業に対する思い、

日々農業を営みながら感じている農家さんの感情

にも目を向けていきたいと思っています。