感情は自分の心を反映していると実感したことについて

起こる出来事に対して感じる感情は、

人それぞれである。

プレゼントをもらったら嬉しくなることが多いい、というように

そこにはある程度の一般性はあっても、

出来事によって感情が決まるのではなくて、

起こった出来事を心がとう捉えるかによって感情が決まる。

 

相手のことを思ってしたことや、

発した言葉であっても、

相手には迷惑であったり、相手を傷つけてしまうこともある。

それはなんでなんだろう。私が悪いのかな?ってずっと考えていた。

でも、よく考えると、「相手のことを思っている」つもりになっているだけで、

そういう時は必ず自分のエゴがその言動の裏に隠されていると思う。

言い換えれば、自己防衛や自己顕示欲が含まれているんだと思う。

 

自分は我慢して、努力して乗り越えてきたことに対して、

すごく不平不満を言っている人を見ると、

「それぐらい我慢しなさい。」と思ってしまうような感情もあると思う。

この感情を何と表現するのかわからないし、

それが自己顕示欲に含まれるのかわからないけど、

無意識にこういうことを思ったり感じたりしてしまい、

人は相手に対して、純粋な思いやりだけで接することが妨げられているんだと思う。

 

イライラしてしまうときも、

自己顕示欲が働いているんだと思う。

自分の価値を見くびられたと、無意識的に感じてしまって、

相手の意識を自分に向けるために、イライラした言動をしてしまうのかもしれない。

また、無関心になるのも、同じ仕組みなのかなって思う。

 

人は所詮、自分中心にしか物事を考えることができない。

どんなに他人を思いやろうとしても、

相手の立場に立って考えようとしても、

結局は自分の視点から逃れることはできないし、

相手のすべてを理解することなんてできない。

だから、相手のことを思いやろうとしても限度がある。

 

今回気づいたこととしては、

自分が相手に対して自分のエゴを出してしまうと、

傷つけられることが起こるか、相手を傷つけることをしてしまう。

自分をちゃんと愛して、自己価値を自分でちゃんと評価できていないと、

他人の言動に振り回されることになってしまう。

それは、相手のことをどれだけ考えられているかとは別で、

心の中に、そういう自分の暗い影のようなものを持っていると、

人間関係において、軋轢が生じてしまうのは仕方がないことなのかなと思う。

だから、こういう時は、相手を思いやる努力だけではなくて、

自分を大切にする努力も必要なのかなって思う。

自分のことをちゃんと知って、自分のことをちゃんと大切にできない人が

他人を知って、大切にできるはずがないって思うから。