人の性格は、それぞれに違うと思うし、
ある国民がみんな同じような性格、人格を持っているはずもないけど、
国民性というものは確かにあるように思える。
そして、国民性というのは、
個々人の先天的な性格が総合されて国民性となっているというよりは、
国民性という、その国の価値観の枠組みが先にあって、
それが個々人の性格や行動様式に影響を与えいているのだろう。
最近読んでいる本に、日本人の志向について書かれていて、
そこでは、「詰める」ことに関して面白いことが書かれてので。
その本に書かれていたことを少し抜粋します。
「ですから、日本人はただ「見たり」「思ったり」「息を吸ったり」してはダメなのです。何かを真面目に真剣に一生懸命にしようとする場合には、必ずもっと「詰め」ていかなければダメなのです。そうすれば、「見る」のは「見つめる」ものとなり、「思う」のは、「思いつめる」となり、行きは「息を詰める」となるのです。…日本人にとっては、詰めることができないものは、詰められ愛もの、すなわち『つまらないもの』になってしまうのです。」
私が考えすぎて、「思いつめてしまう」傾向があるのも、
こういう価値観がもとにあって、
「詰めて考えることが重要だと」思い込まされているからなのかもしれない。
もっと気軽に生きたいなとか、
いちいちそんなに考えなけらば、もっと人生楽しくなるのかな?って思うこともあるけど、
それがどうしてもできない。
それを自分の性格のせいにしていた部分もあったけど、
この本を読んでいると、
もしかすると、それは後天的に作られた自分の癖のようなもので、
直せば、直るものなのかな?なんて思った。
要するには、詰まらない人間になりたくないという
無意識の強迫観念に駆られて、
思いつめるようになってしまって、
それがあまりにも当たり前のことになってしまったがゆえに、
それが自分の性格だと思い込んでいるのかな?ということ。
育った環境が自分の性格に影響するということはよく言われるけど、
自分の先天的な性格と、後天的に獲得したものの区別をつけるのはとても難しいと思った。
果たして、どこまでそれを区別することに意味があるのかは怪しいところではあるけど、
自分が生きやすいような自分になる時に、
意外と文化的価値観に思考や行動が縛られていることを意識するだけで、少しはそれから抜け出しやすくなるのかもしれない。